コロナ期間以降、ひさしぶりに文芸がらみの雑誌を買ったことをいつか書いた。
そしてまんまと、その中に掲載されていた、小説の冒頭部分を読んで、
全部を読むことにした。
“まんまと”、とは書いたけど、
でも、こんなことでもないと
「オマーン」出身の作家の
小説を読む機会には恵まれなかっただろう。
今まで読んだ他の海外文学とも、もちろん日本文学ともどこか違ったけど、
どうして本1冊、全編読もうと思ったのかというとそれはもちろん
雑誌に抜粋されていた冒頭部分に引きこまれる魅力が詰まっていたからなのだが、
実際1冊読んでみて感じたのは、
なんとなくなつかしい気持ちだった。(冒頭部分でイメージしていた印象ともちがった。)
子どもの頃、(といっても中学生かも、)選んでいた本は
こんな本じゃなかったかなと思ったのだ。
*少しのネタバレもいやな方はここから読みとばしてもらえたらと思うが、本の内容、*
色んなことがあって、色んなことが起こる。
その登場人物の背景も描かれる。
中には日本と同じような信心的なものだったり村や集落特有の雰囲気だったり重なるところもあって学びにもなる。
でもなんだろう。
それが全て伏線として機能しているという訳ではない。
(つづきがあるかと思えば、ない部分もある)
ただこの章でこんなことがあって、
こんな事件/出来事があって、
この人はこんなことを思って、そして次にこんなことが・・・・・
それこそまるで水流のようにただ前に進んでいく。
それが、読んでいてどこかなつかしい気持ちにさせた要因だったし、
今の小説がいかに頭を使うものか気づかされる体験だった。

それと同じようなことが、10月末に触れたジュラシックパーク(映画)でもあった。
ちょうどAmazon Prime Videoでシリーズ半分以上の作品が100円でレンタルでき、
観る/観ない 50%ずつくらいの確率でそのブログを書いたんだけど、
果たして私は観た。
10月のうちに全部は叶わなかったけど、
2本目の「ロスト・ワールド」、3本目の「ジュラシック・パークⅢ」を観た。
驚いた。
思い出した というより、
すっかり忘れていたからだ。
あの壮大な音楽、サウンドトラックが朗々と画面の中に流れ溢れたとき
私の目は1.3倍に開いた。
ストーリーの中では、「恐竜の嗅覚はすごくいいのよ!」と
豪語している女性がわざわざ血のついたジャケットを夜、自分のテントの中に干して
案の定ティラノサウルスがやってきて怯える、など自業自得としか言いようのないシーンが
驚くほど多々あるのだが(他、パパのいうことなんて聞いちゃダメだと言われた娘が勝手についてきて
「だって、パパの言うことなんて〜〜〜」と得意げに引用した数時間後には「何ここ!帰りたい!!」と叫び出す、など)、イライラするのだが、それでも、
最近の映画みたいに
「・・・・・・あれは、一体どういう意味だったんだろう?」
と鑑賞後わざわざインターネット検索 → 色んな人の記事を読む などといったよくわからない工程を
ふむ必要がなかった。
そうだ、映画って エンタメだったんだ。
私は10月、そんな発見がありました。
少し話を戻して、
中学の頃、私は、何の情報もなく、ただ本屋に行って、
表紙や冒頭の文だけを見て本を選んでいた。
2025年
ちなみにジュラシック・パークシリーズ3作と、ジュラシック・ワールドシリーズ(ワールド4作目が2025年に公開された)はまるで別物。
たぶんジュラシックパークが好きだった人からするとジュラシックワールドには色々思うところがあると思うけど、
ジュラシックワールドの1作目は2回見た。ちょっと急にメッセージ性が多いような気もするけど、とにかく楽しめる。
ワールド2・3は本当にすすめない。4はまだ見ていないので分からない






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