たまごっちのこと


オフィスで盗み聞きをしていて、
たまごっちの話を思い出した。


私が中学生くらいの頃、1990年代に一大ブームを巻き起こした「たまごっち」。

知らない人のために補足すると、
手のひらサイズで軽量な、携帯できるゲーム機。
文字通り卵の状態から、エサを上げたり、遊んだり、うんちの片付けをしたりして育てていき、
機嫌や体重などから成長が変化していく、
つまりバーチャル上でキャラクターを育てるゲームなのです。


一時期はほとんどの友達が持っているほどの人気だったが、
だんだんと持ってくる人が減り、高校生になればほとんど誰も持ってくる者はいなくなっていた。



しかし、先日、
たまごっちが現代にも存在しているという話を知り合いから聞いたのだ。

もちろん私の時と同じものを現代の小学生やらが持っているわけではない。
ゆとり教育の見直しに次ぐ見直しの末の脱ゆとりの中、
勝ち負けは良くないと手をつないで100m走するような運動会も生まれた昨今。
たまごっちもそれに合わせた変遷を遂げているそうだ。
 

「死なないんだって。」
 

と、その知り合いは言った。

 
え!じゃあどうなるんですか?
 

聞くと、
 

「置き手紙を残して、いなくなるんだってさ。」
 

と言った。

・・・分かりづらい!!


置き手紙にはどんなことが書かれているんだろう、、

「疲れました」

とかだろうか、やっぱり

「あなたじゃ私を育てきれない」

とかだったらショックだな、いくらバーチャルとはいえ。


この記事を書くにあたり、念のため調べてみると、

 

反抗期・思春期のたまごっちは、世話を怠っていると、死んでしまいます。
フレンド期は死ぬことはなく、置手紙を置いて、家出します。(たまごっちiDL)

とのこと。

反抗期か思春期の方が家出っぽいのに?
よく分からない。

どんなキャラクターに育つかはバリエーションがあって良いと思うけど、
終わり方にまでバリエーションをつける必要はないんじゃないか、と思うのはやはり私が昭和生まれだからだろうか。
人の終わりも「死」以外に、
「昇華して天女」とか「透明になる」とか
バリエーションが増えたら、
今度は受け止め方も難しくなるし、
生き方も打算的になってくるような気がする。
生まれてからそこまでの道は直線でかまわない。
だからこそその間、つまり生きることが重要になってくる。


あと、100m走では順位がついて構わない。
別の見方をすれば別の1位が必ずいる。
 
 

たまごっちを探しています



今もあるんだたまごっち。

いろんなのがあってかわいい・・・・

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