2度目の上京で、私は初めて
「そば」という食べ物を知った。
それまでは“年越しに食べるもの”、というくらいの認識しかなかった蕎麦が、
同棲相手に連れて行ってもらった立ち食い蕎麦屋がどこもかしこも美味しかったことから
一気に蕎麦との距離が縮まったのだ。
今日は「後楽園そば」へ。
店内には男性が一人と、外国人の男女がいた。
野菜かき揚げそば(390円)にコロッケ(120円)のトッピングをつけて、計410円。
券売機に500円を入れて、返ってきた90円を握りしめたまま
カウンターの上にあるお盆に2枚の食券を乗せる。
「そば?」
とカウンターの中のおじさんに聞かれる。
「はい。」
と答える。
「そば?」
もう一度聞かれる。
多分、まだ立ち食い蕎麦屋に慣れていない為に
ビビっている私の声が小さかったのだ。
「はい!」
と答えた声は、慣れている風に演出する為にいくらか横柄になってしまった。
1分もしない内に
熱々のお蕎麦がお盆の上に置かれる。
そのお盆を両手で掴んで、
柱の向こうのテーブルまで運ぶ。
テーブルまであと2歩という時、
右手からお盆が離れた。
その時気づいたが、
蕎麦と汁の入ったお椀の載ったお盆を、
私は右手親指と人差し指だけで持っていた。
握ったままの90円・・・!
そんなこと今さら気づいたって無駄だ。
めん鉢の割れる大きな音が店内に響き渡り、
さっきまで生き生きとしていた蕎麦麺やコロッケ達が、床の上で打ち拉がれていた。
さっきまで「Cool!」を連発していた外国人客達も、水を打ったように静まり返っていた。
私は「すみません!」と大きな声で叫んだ。
蕎麦にも、作ってくれた人にも、
蕎麦をcoolと思っていた外国人客にも、
本当に申し訳ない気持ちだった。
この事態を、一体どうしたらいいのだろう?
一切の答えをもたず立ちすくむ私に、
遠くから優しい声が聞こえてきた。
「おねえさん、全部落ちた?」
今さっき蕎麦を完成させてくれた、
カウンターの中のおじさんだった。
「はい。」
私はすっかり元気のない声で答えた。
もう立ち食い蕎麦に慣れていないと思われた方が随分と楽だった。
「こっち来て〜。」
遠くからは変わらぬ優しい声が響く。
恐る恐るカウンターの方に戻ると、
天使が蕎麦を湯がいてくれていた。
そして同じトッピングで、蕎麦を作り直してくれた。
私は2度目の上京で、初めて「そば」という食べ物を知った。

2015年1月25日
今、調べてみたら後楽園そばは数年前に閉店してしまったらしい。
そしてその跡地にまた別の蕎麦屋ができているみたい
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