読んだ。
灯台へ ウルフ
ヴァージニア・ウルフのことをはじめて知ったのは
映画「めぐりあう時間たち」で、
ウルフの書く文章をはじめて読んだのは、
「早稲田文学」
の中でだった。
流れるようなきれいな文を書く人、
そんな印象だった。
文は流れるようでも、
その一文のなかになにかしらの光るエッセンスが込められていて、
流れるよう、と思うくらいだからひとつの文の長さが短いわけではなく、
かといって薄くもなかった。薄くもないということはエッセンスが詰まっているということで、
たとえば早稲田文学に掲載されていた『ロンドン散策——ある冒険』で語り手でもある女性は
"鉛筆を買う"ために外(街)に出るのだが、私のなかでまだ散歩の途中のままである。(読み終えられていない。)
果たしてその文章が長いんだったっけと思い今本を開いてみたけれど、
どれもが長いわけでもなく、じゃあこの感覚は書き手のウルフによって伸びたり縮んだりするものらしかった。
まだ読み終えられていない散策・冒険から数年の時を経て、
先日購入した「やりなおし世界文学」を機に、
はじめてヴァージニア・ウルフの小説を手にとった。
別の作品とはいえ読み始めるとその文章に、
流れ方がまさしくウルフと思い出させるものがあり、
そのたどり着かないのに美しい何かしらの生き物は物語となるといくぶんマシだったが、
それでも私には根気のいる読書だった。
光るエッセンスを少しずつ少しずつ追いかけて、
やや終盤へと差し掛かったところで、「風に飛ばされる便せん」という記憶が書き起こされている。
風に飛ばされる便せん
一部分だけを書き出しても伝わらないと思うけれど、
その記憶が、まるで自分のもののように感じられる瞬間があって、
それはウルフの文章の力のある種結実なんだと思った。
2025年5月

私はすこしでも行間の広いもので読みたかったから最初のリンク本で読んだけど、
⬇︎文庫版(かつ、今も手にとりやすいもの)だとこちら
ウルフは小説以外にもエッセイ・日記なども残している。
⬇︎の文庫本は、今もAmazonのエッセイ・随筆ランキングで1081位だった。
時を経てエッセイランキングに入っているってすごくないですか
1928年に行われたふたつの講演の原稿をもとにしたエッセイ。
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